北海道古文書解読サークル覚書
2026年3月29日日曜日
「列座」「侍座」「出座」の出現回数
文化3年1月~文化5年12月までの『江戸幕府年録』『江戸幕府日記』での
「列座」「侍座」「出座」の出現回数と使い分け
2026年4月の例会
2026年4月の例会
日次:4月18日(土)13時より~16時まで。
場所:かでる2・7(1060号室)
内容: 総会、会員による講演会、定例の学習会はお休み。
5月から班変えがあり、新しい班となります。
2026年3月26日木曜日
2026年3月25日水曜日
『蝦夷異事三』P43 最終行 「ゑとろふ一件之儀租承及も可有之」の「租」
『蝦夷異事三』P43 最終行
「ゑとろふ一件之儀租承及も可有之」
「租」は、文脈から筆記者は「粗(あらあら)」の意で書いたと思われます。
『近代史を学ぶための古文書「候文」入門』(吉川弘文館)P101より
【粗・粗々・荒々】(あらあら) [意]およそ、ざっと、概略、だいたい
「殺生御禁断之樣ニ、粗承り申候」(殺生御禁断のように、あらあら承り申し候。→殺生禁止であるように、 おおよそ承知しています)
「粗々御用済ニも相成候」 (あらあら御正済みにも相成り候 →だいたいご用済みになりました)
「此度之御用筋、荒々承知仕候」(この度の御用筋、あらあら承知仕り候。 →この度の智用については、ざっと承知しました)
2026年3月23日月曜日
P40 「岩浅宮太夫」は他の資料との比較で「岩浅三五太夫」が正しい
『蝦夷異事三』P40の「岩浅宮太夫」は
他資料と比較すると「岩浅三五太夫」が正しいと思われますが、文字からは筆写した方は
「岩浅宮太夫」として筆写したと思われます。尚、このテキストでも他の所で「岩浅三五太夫」と記している部分が数か所出てきます。
またP67で「岩佐三五太夫」という表記も出てくるので
読みは「いわあさ」ではなく「いわさ」の可能性もあるかと思います。
|
蝦夷異事P40 12月8日 |
松前異事録P21 12月8日 |
江戸幕府年録12月8日 |
江戸幕府日記12月8日 |
蝦夷紀聞下41 12月8日 |
通航一覧12月8日 七188-3 |
通航一覧362-1 |
蝦夷異事P67 12月8日 |
松前異事録P35 12月8日 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
「列座」、「侍座」、「出座」の使い分け
「列座」、「侍座」、「出座」の使い分け
申渡す者が老中か若年寄かで使い分けている。
|
|
老中について |
若年寄について |
|
老中が申渡す場合 |
老中列座 |
若年寄中侍座 |
|
若年寄が申渡す場合 |
(出席しない) |
若年寄中出座 |
(例)
|
文中場所 |
申渡の者 |
表現 |
|
P40 1行目 |
老中 松平伊豆守 |
老中列座 若年寄中侍座 |
|
P40 5行目 |
老中 牧野備前守 |
老中列座 若年寄中侍座 |
|
P41 後から2行目 |
若年寄 京極備中守 |
若年寄中出座 |
|
P42 後から2行目 |
老中 松平伊豆守 |
老中列座 |
|
P44 後から2行目 |
老中 牧野備前守 |
老中列座 |
用語「鉄炮方」「重追放」「中追放」「江戸払」「御構場所」「御勝手より」
用語の意味
「鉄炮方」
江戸幕府の職名。若年寄の支配に属し、鉄砲の製造や射撃の教授などを担当した。のち、井上・田付両氏の世襲。(コトバンク)
鉄砲方(てっぽうかた)は、江戸幕府の役職名。鉄砲御用人、鉄砲御側衆とも。鉄砲の研究、整備および修理を行った。若年寄配下で、役料は200 - 300俵。砲術の教授、鉄砲の製作、保存、修理を主な任務とし、猪や狼の打ち払い、火付や盗賊の逮捕にもあたった。(Wiki)
江戸時代の刑罰の一つで、追放刑の中で最も重い刑。立ち入ることが禁じられた御構地は、中追放の構地に加え、相模・上野・安房・上総・下総・常陸など関東一円と、犯罪者の居住地及び犯罪地であった。京都で裁かれた者は、さらに河内・近江・丹波が加えられた。また、田畑・家屋敷のほか家財も没収された。(近世古文書用語辞典)
「中追放」
御構地は武蔵・山城・摂津・和泉・大和・肥前・東海道筋・木曽路筋・下野・日光道中・甲斐・駿河、および居住地と犯罪地。
「江戸払」
江戸時代の刑罰の一つ。品川・板橋・千住・四谷大木戸および本所深川の町奉行所支配地から外へ追放した刑。
「御構場所」
御構地とも。追放刑に処せられた者の立入りを禁止した場所。
「御勝手より」
将軍御目見えは、身分によって謁見を受ける部屋の格式があった。白書院の場合、帝鑑之間が「白書院勝手」と称される場であり、白書院の帝鑑之間で控えたのち、白書院下段縁頬に出席して謁見を受ける場合を「御勝手ゟ」と表している。(「江戸幕府の政治運営に見る格式」深井雅海氏 徳川林政史研究所研究紀要52参照)(解読 蝦夷異事一 注釈445)
文化魯寇に際しての処罰
文化魯寇での対応で、多くの者に処分を申し渡された文化4年12月27日に、菊地惣内は江戸にいなかったので処罰を申し渡されていません。
2026年3月22日日曜日
京極高久は「備中守」か「備前守」か?
Wikiでは
京極高久
江戸時代中期から後期にかけての大名。丹後国峰山藩6代藩主。官位は従五位下備前守。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E6%A5%B5%E9%AB%98%E4%B9%85
ところが、当時の古文書などでは 備中守
右蝦夷地御用ニ付来春被遣候間可致用意旨於御右筆部や縁頬若年寄中出座【京極備中守】申渡之(『蝦夷異事三』)
しかしながら「”京極備前守高久”」と「”京極備中守高久”」で検索してみると、圧倒的に「”京極備前守高久”」が多いです。
橋本博 編『大武鑑』巻6,大洽社,昭和11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/8311776 (参照 2026-03-26)
で調べなおしてみると
寛政9年(1797年)までは備前守、享和3年(1803年)には備中守に代わっているので
この間に、備前守から備中守に変わったものと推定されます。
今までの刊行叢書
北海道古文書解読サークルが今まで翻刻して刊行した叢書の一覧です。
1 解読 五郎治申上荒増(全) 平成11年4月20日 刊行
2 解読 蝦夷地土産(上・下) 平成11年4月20日 刊行
3 解読 北槎小録(全) 平成11年8月21日 刊行
4 解読 おくのあら海 平成16年3月20日 刊行
5 解読 明治八年開拓使公文録 平成17年6月18日 刊行
6 解読 清水谷公考文録 平成17年6月18日 刊行
7 解読 備後福山藩と蝦夷地・北海道 平成17年6月18日 刊行
8 解読 御用留 庶務局 平成19年10月13日 刊行
9 解読 蝦夷紀聞(上) 平成21年3月21日 刊行
10 解読 五郎治申上荒増 (改訂版) 平成22年10月16日 刊行
11 解読 北邉探事 平成23年1月15日 刊行
12 解読 欧羅巴使節 露西亜日記 平成24年4月21日 刊行
13 解読 白石手稲取扱書留 平成25年3月16日 刊行
14(1) 解読 安政度函館奉行所書類 上 平成30年1月20日 刊行
14(2) 解読 安政度函館奉行所書類 下 平成30年6月16日 刊行
15(1) 解読 蝦夷異事一 令和6年3月16日 刊行
15(2) 解読 蝦夷異事二 令和8年1月17日 刊行
