2026年3月29日日曜日

『蝦夷異事三』P39の欠けている部分

 『蝦夷異事三』P39で

文化4年十月廿四日  同八日

となっていますが、

『蝦夷紀聞道立文書館』下39に この間に十一月朔日が入っています。

これを補って考えると、同八日は十一月八日となります。

また、この内容は、『江戸幕府年録』の該当の日付に出てきます。


「列座」「侍座」「出座」の出現回数

 文化3年1月~文化5年12月までの『江戸幕府年録』『江戸幕府日記』での

「列座」「侍座」「出座」の出現回数と使い分け


申渡しの場がどんな場面下で、使い分けがあります。
A、「老中が申し渡す時」は 必ず「老中列座」 「若年寄中侍座」で例外はありません。
 この時、「若年寄列座」「老中侍座」はありません。
B、「若年寄が申し渡す時」は老中は出ていず、『江戸幕府年録』では必ず「若年寄中出座」ですが、『江戸幕府日誌』では「若年寄列座」を使っている場合もあります。この場では最高位は若年寄なので「列座」と記録することの可能だったのではと思っています。


「列座」は申渡しの場で最高位の者に対して使うことが可能な表現かと思います。老中が申し渡す時「若年寄(中)列座」の使用例は0です。
 「若年寄列座」を使うのは『江戸幕府日記』の筆記者に限られ、『江戸幕府年録』では0です。


『江戸幕府年録』と『江戸幕府日記』の同じ記録での
若年寄出座と 若年寄列座
文化三年十月九日
『江戸幕府年録』

『江戸幕府日記』


C、老中出座」という例も数は少ないですが、見られます。
 『江戸幕府年録』9回、『江戸幕府日記』1回 
 これらは、いずれも、公方様、大納言様、日光門主などが出席している時で、
 老中が最高位でないので「列座」は使われなかったのかと思いました。



老中、若年寄などの役職と、列座、侍座、出座などが関係しているのではなく
その場の中でどんな立場なのかで使い分けられていると思います。

2026年4月の例会

 2026年4月の例会

 日次:4月18日(土)13時より~16時まで。

 場所:かでる2・7(1060号室) 

 内容: 総会、会員による講演会、定例の学習会はお休み。

     5月から班変えがあり、新しい班となります。

2026年3月26日木曜日

『蝦夷異事三』P40 「柑本兵五郎」の読み

 『蝦夷異事三』P40 「柑本兵五郎」の読み


柑本」は「こうじもと」「こじもと」という読みがあるようです。

2026年3月25日水曜日

『蝦夷異事三』P43 最終行 「ゑとろふ一件之儀租承及も可有之」の「租」

『蝦夷異事三』P43 最終行

 「ゑとろふ一件之儀承及も可有之」

「租」は、文脈から筆記者は「粗(あらあら)」の意で書いたと思われます。


『近代史を学ぶための古文書「候文」入門』(吉川弘文館)P101より

【粗・粗々・荒々】(あらあら) []およそ、ざっと、概略、だいたい

「殺生御禁断之樣ニ、承り申候」(殺生(せっしょう)御禁断のように、あらあら(うけたまわ)り申し候。→殺生禁止であるように、 おおよそ承知しています)

粗々御用済ニも相成候」 (あらあら御正済みにも相成り候 →だいたいご用済みになりました)

「此度之御用筋、荒々承知仕候」(この度の御用筋、あらあら承知仕り候。 →この度の智用については、ざっと承知しました)


『蝦夷紀聞 中』(道立文書館蔵)に同じ文章があるが、こちらは「粗」

2026年3月23日月曜日

お鉄炮方 井上左太夫

 『蝦夷異事三』P39,p44に出てくる井上左太夫は

井上家は代々続く鉄炮方で、代々井上左太夫を名乗り、国産銃器を受け持つ。

P39で、11月8日、下田、浦賀、房州、総州海岸見分を命じられ、


P40の朱書き「同十二月十五日御勝手より帰府御目見」は、『江戸幕府年録』の十二月十五日の所に御勝手より帰ってきた記載があり、後日朱書きで書き入れられたものと思われます。

P44では 先祖制作之大筒を差上げて金拾枚の御褒美をもらっています。




P39 十月廿四日の朱書きの部分について

 P39 十月廿四日の朱書きの部分について

肥後守ト改」、「淡路守ト改」は江戸幕府年録1216日の記載にあり、それを後から追記したもの。 

辰正月廿八日御暇」はこのテキストP59にある内容、

辰正月七日御暇」はこのテキストP57にある内容を後から追記したもの。

この中の「御暇」は 『近世古文書用語辞典』:吉川弘文館2024)で

「いとま(暇)」5番目に 「大名が封地(ほうち)に赴くため、また役人が任地に赴くため江戸を離れること」とあり

松前奉行に任じられた2名が、任地の松前へ出発にあたり、江戸城においとまの挨拶に行ったことを意味すると思われます。

P40 「岩浅宮太夫」は他の資料との比較で「岩浅三五太夫」が正しい

 『蝦夷異事三』P40の「岩浅宮太夫」は

 他資料と比較すると「岩浅三五太夫」が正しいと思われますが、文字からは筆写した方は

「岩浅宮太夫」として筆写したと思われます。尚、このテキストでも他の所で「岩浅三五太夫」と記している部分が数か所出てきます。

またP67で「岩佐三五太夫」という表記も出てくるので

 読みは「いわあさ」ではなく「いわさ」の可能性もあるかと思います。

蝦夷異事P40 128

松前異事録P21 128

江戸幕府年録12月8

江戸幕府日記128

蝦夷紀聞下41

128

通航一覧128

188-3

通航一覧362-1

蝦夷異事P67 128

松前異事録P35 128


『蝦夷異事三』の他の場所で「岩浅(岩佐)三五太夫」と書かれている部分

「森栄蔵」は「森覚蔵」

 蝦夷異事三 P40

「森栄蔵」は他文献と比較してみると「森覚蔵」が正しいようです。

蝦夷異事

松前異事録

江戸幕府年録文化4128

江戸幕府日記文化4128


「列座」、「侍座」、「出座」の使い分け

「列座」、「侍座」、「出座」の使い分け

 申渡す者が老中か若年寄かで使い分けている。

 

老中について

若年寄について

老中が申渡す場合

老中列座

若年寄中侍座

若年寄が申渡す場合

(出席しない)

若年寄中出座

()

文中場所

申渡の者

表現

P40 1行目

老中 松平伊豆守

 老中列座 若年寄中侍座

P40 5行目

老中 牧野備前守

 老中列座 若年寄中侍座

P41 後から2行目

若年寄 京極備中守

 若年寄中出座

P42 後から2行目

老中 松平伊豆守

 老中列座

P44 後から2行目

老中 牧野備前守

 老中列座

用語「鉄炮方」「重追放」「中追放」「江戸払」「御構場所」「御勝手より」

 用語の意味

「鉄炮方」

江戸幕府の職名。若年寄の支配に属し、鉄砲の製造や射撃の教授などを担当した。のち、井上・田付両氏の世襲。(コトバンク)

鉄砲方(てっぽうかた)は、江戸幕府の役職名。鉄砲御用人、鉄砲御側衆とも。鉄砲の研究、整備および修理を行った。若年寄配下で、役料は200 - 300俵。砲術の教授、鉄砲の製作、保存、修理を主な任務とし、猪や狼の打ち払い、火付や盗賊の逮捕にもあたった。(Wiki)

「重追放」

 江戸時代の刑罰の一つで、追放刑の中で最も重い刑。立ち入ることが禁じられた御構地は、中追放の構地に加え、相模・上野・安房・上総・下総・常陸など関東一円と、犯罪者の居住地及び犯罪地であった。京都で裁かれた者は、さらに河内・近江・丹波が加えられた。また、田畑・家屋敷のほか家財も没収された。(近世古文書用語辞典)

「中追放」

御構地は武蔵・山城・摂津・和泉・大和・肥前・東海道筋・木曽路筋・下野・日光道中・甲斐・駿河、および居住地と犯罪地。(近世古文書用語辞典)

「江戸払」

江戸時代の刑罰の一つ。品川・板橋・千住・四谷大木戸および本所深川の町奉行所支配地から外へ追放した刑。(近世古文書用語辞典)

「御構場所」

 御構地とも。追放刑に処せられた者の立入りを禁止した場所。(近世古文書用語辞典)

「御勝手より」

 将軍御目見えは、身分によって謁見を受ける部屋の格式があった。白書院の場合、帝鑑之間が「白書院勝手」と称される場であり、白書院の帝鑑之間で控えたのち、白書院下段縁頬に出席して謁見を受ける場合を「御勝手ゟ」と表している。(「江戸幕府の政治運営に見る格式」深井雅海氏 徳川林政史研究所研究紀要52参照)(解読 蝦夷異事一 注釈445)

文化魯寇に際しての処罰

 

文化魯寇での対応で、多くの者に処分を申し渡された文化4年12月27日に、菊地惣内は江戸にいなかったので処罰を申し渡されていません。

しかしながら、文化5年6月22日帰府直後、6月29日に役儀取放、御目付以下小普請入押込と
山田鯉兵衛と同じ処分を受けています。

詳しい処分理由は下をご覧ください。

処罰
●松前奉行 羽太安芸守
 当夏中魯西亜人、ヱトロフ島ヘ罷越及乱妨候節、詰合之者共平日之心掛不宜、聊之儀に度を失ひ、防之手段にも至らす立退候、畢竟常々申付方不行届故に候處、兼々取締相整候由申聞候、段不都合之儀、且又右之節、其方箱館より申上方其外取計も麁忽之仕形、旁不調法之至に候、依之御役御免、小普請入逼塞被仰付もの也、

松前奉行支配調役下役元締 中村小市郎
 其方儀、当夏クナジリ島ヘ參會居候節、カシヤの方に大筒之音相聞、異国船寄来候趣に候處、右場所には向井勘助一人詰合罷在候を不心附、取急自分持場へ罷越候とは乍申、右場所引取候段不行届之儀に付、急度叱置之、

松前奉行支配吟味役格 山田鯉兵衛
 其方儀ゑと云ふ嶋は異国境之事故御要害第一に心懸可申処取締候儀迄申聞御備向ゆるかせに有之候段初発ゟ相詰候詮も無之当夏音西亜人及乱妨候節も相違之儀を申立候始末惣而表裏之勤方不埒之至ニ候依之役義取放し御目見以下え小普請入押込被仰付候

松前奉行支配調役下役元締 戸田又太夫
 右ゑといふ伝え魯西亜人共渡来之節会所を明退自殺候に付御宛行幷屋敷上り候御勘定奉行御普請奉行可被談候

松前奉行支配調役下役 關谷茂八郎 児玉嘉内
 右之者共儀悪といふ嶋えおろしや人渡来之節会所を明退候段未練之始末不届之至ニ候依之重追放申付候

松前奉行支配同心 羽生家次郎、小島官蔵、粕屋與七
 此者共儀恐とろふ嶋えおろしや人渡来之節戸田又太夫関屋茂八郎倶へ会所を明退候段不届之事に候依之江戸払申付候

松前奉行支配同心 井瀧長藏、橋本幾八
 其方共儀、エトロフ島ヘ魯西亞人渡來之節、戸田又太夫、關谷茂八郎倶々會所を明退候段、不届之事に候、依之江戸払申付之、右之通可被申渡候、(朱書)辰二月二日申渡、

松前奉行掛松前地役雇之者 森重左仲 内野五郎左衛門
 リイシリ島に船繫致し候節、異国船渡来候由承、御武器并御船を捨置逃去候始末、不届之至候、依之江戸払申付之、

松前奉行 戸川筑前守
 去年エトロフ島ヘ魯西亞人罷越候節、詰合之もの共立退候始末、兼々取締相整候由申聞候とは令相違候、畢竟支配之もの共へ、申付おろそかなる故と相聞、不調法之事に候、依之御役御免被成もの也、

松前奉行支配吟味役格 菊池惣内
 其方儀、エトロフ島之儀引受罷在候上は、御要害第一心掛可申處、御備向等閑に致し置、去年夏露西亞人及乱妨候始末、旁不埒之至候、依之役儀取放、御目付以下小普請入押込被仰付之、

2026年3月22日日曜日

京極高久は「備中守」か「備前守」か?

 Wikiでは

京極高久

江戸時代中期から後期にかけての大名。丹後国峰山藩6代藩主。官位は従五位下備前守

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E6%A5%B5%E9%AB%98%E4%B9%85


ところが、当時の古文書などでは 備中守

 右蝦夷地御用ニ付来春被遣候間可致用意旨於御右筆部や縁頬若年寄中出座【京極備中守】申渡之(『蝦夷異事三』)


しかしながら「”京極備前守高久”」と「”京極備中守高久”」で検索してみると、圧倒的に「”京極備前守高久”」が多いです。


橋本博 編『大武鑑』巻6,大洽社,昭和11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/8311776 (参照 2026-03-26)

で調べなおしてみると

寛政9年(1797年)までは備前守、享和3年(1803年)には備中守に代わっているので

この間に、備前守から備中守に変わったものと推定されます


(*)守が変わった例
『江戸町奉行 与力・同心の世界』滝口正哉 岩波新書 2026
 「大岡越前」に関して
P13
 ちなみに彼は「大岡越前」として広く一般に知られているが、じつは山田奉行時代、正徳二年(1712)に叙任したのは能登守だった。享保二年二月に南町奉行に就任した際に、中町奉行の坪内定鑑が能登守であったため、これを憚って越前守に改めたのである。
==
「京極備前守」も享和元年(1801年)7月から老中に「牧野備前守」が就任しているのでそれを憚って「備中守」に改めたのかもしれない。

2026年3月例会の学習部分の画像。

 現在、北海道立公文書館所蔵の『蝦夷異事三』を解読中です。

3月21日の3月の例会では、P39~P46までを学習しました。(ページの番号付けは本会独自のものです)見開き分を2頁として表紙から順番に番号付けしています。

学習した部分の陰影です。

『蝦夷異事』は色々な他の資料から抜書きして文章の区分がわかりにくいので、試案として文章の区分を入れてみました。

P38,39

P40,41

P42,43


P44,45



P46,47


文化4年当時の江戸幕府の老中・若年寄一覧

 

大武鑑巻六を元に、一部Wikiの情報を使ってまとめてみました。

間違いがありましたらご指摘いただければ幸いです

今までの刊行叢書

北海道古文書解読サークルが今まで翻刻して刊行した叢書の一覧です。  

 1 解読 五郎治申上荒増(全)    平成11年4月20日 刊行

 2 解読 蝦夷地土産(上・下)    平成11年4月20日 刊行

 3 解読 北槎小録(全)       平成11年8月21日 刊行

 4 解読 おくのあら海         平成16年3月20日 刊行

 5 解読 明治八年開拓使公文録   平成17年6月18日 刊行

 6 解読 清水谷公考文録      平成17年6月18日 刊行

 7 解読 備後福山藩と蝦夷地・北海道 平成17年6月18日 刊行

 8 解読 御用留 庶務局      平成19年10月13日 刊行

 9 解読 蝦夷紀聞(上)       平成21年3月21日 刊行

10 解読 五郎治申上荒増 (改訂版) 平成22年10月16日 刊行

11 解読 北邉探事         平成23年1月15日 刊行

12 解読 欧羅巴使節 露西亜日記  平成24年4月21日 刊行

13 解読 白石手稲取扱書留     平成25年3月16日 刊行

14(1) 解読 安政度函館奉行所書類 上 平成30年1月20日 刊行

14(2) 解読 安政度函館奉行所書類 下 平成30年6月16日 刊行

15(1) 解読 蝦夷異事一        令和6年3月16日 刊行

15(2) 解読 蝦夷異事二        令和8年1月17日 刊行

北海道古文書解読サークルの解読用覚書

 北海道古文書解読サークルは平成5年10月2日設立され

2026年1月1日現在会員数42名

毎月1回 かでる2・7 札幌市中央区北2条西7丁目

で学習会を行っています。


学習会の成果の「注釈」を作る際に参考のなる資料、思い付きなどの覚書の場所として作り始めました。

2026年3月22日