京極高久は「備中守」か「備前守」か?
Wikiでは
京極高久
江戸時代中期から後期にかけての大名。丹後国峰山藩6代藩主。官位は従五位下備前守。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%AC%E6%A5%B5%E9%AB%98%E4%B9%85
ところが、当時の古文書などでは 備中守
右蝦夷地御用ニ付来春被遣候間可致用意旨於御右筆部や縁頬若年寄中出座【京極備中守】申渡之(『蝦夷異事三』)
しかしながら「”京極備前守高久”」と「”京極備中守高久”」で検索してみると、圧倒的に「”京極備前守高久”」が多いです。
橋本博 編『大武鑑』巻6,大洽社,昭和11. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/8311776 (参照 2026-03-26)
で調べなおしてみると
寛政9年(1797年)までは備前守、享和3年(1803年)には備中守に代わっているので
この間に、備前守から備中守に変わったものと推定されます。
(*)守が変わった例
『江戸町奉行 与力・同心の世界』滝口正哉 岩波新書 2026
「大岡越前」に関して
P13
ちなみに彼は「大岡越前」として広く一般に知られているが、じつは山田奉行時代、正徳二年(1712)に叙任したのは能登守だった。享保二年二月に南町奉行に就任した際に、中町奉行の坪内定鑑が能登守であったため、これを憚って越前守に改めたのである。
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「京極備前守」も享和元年(1801年)7月から老中に「牧野備前守」が就任しているのでそれを憚って「備中守」に改めたのかもしれない。

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