2026年5月13日水曜日

接頭辞「御」の読みは「お」「ご」「おん」のどれか?

 「御」をどう読むかは、以前例会で

「音読みには「ご」、訓読みには「お」」というお話がありました。

現代語では多数の例外があります。

江戸時代はどうだったのか、『近代古文書用語辞典に載っている言葉をチェックしてみました。
この辞書に「御」の付く使用例がすべて採集されているわけではありませんが、

(1)訓読みの語(和語といったほうがよいかもしれません)の前で「お」と読むのはほとんどですが例外もあります。でも、数は非常に少ないです。
* 音読みの前で「お」と読む例外
  御小性(おこしょう)御台場(おだいば) 御師(おし) 御天馬宿(おてんましゅく)御納戸(おなんど)

(2)音読みの語の前で「ご」と読むのも全くと言っていいくらい例外がありません。法則と言っていいかもしれません。
*例外 御尤(ごもっとも)

(3)「おん:御」については、『岩波古語辞典』で
「〖接頭〗《オホムの約》貴人の所有物・行為などに冠し、また貴人に向かって差し上げる物や、する行為に冠し、また形容詞の上について尊敬の意を表わす。院政時代以後に現れた形。室町時代以後は書き言葉や、荘重な話し言葉に使われ、日常の会話にはこれの省略形である「お」が使われた」
とあります。
我々が扱う古文書では、よっぽどの貴人以外は「おん」と読む必要はないように思います。

なお、現代語で単語の前に「お」や「御」をつける基準について
ネット上の情報を、以下に紹介してあります。

2026年5月12日火曜日

松前奉行役職者名一覧(文化4年~文化8年)

 松前奉行役職者名一覧(文化4年~文化8年)

『蝦夷異事三』では、文化4年末から、松前奉行所の役職に任命される例が多数出てきます。

『文化武鑑』(国立国会図書館デジタルライブラリー)で、文化4年から文化8年までの役職者の名前を確認してみました。

文化4年の文化魯寇の後、当初は、「津軽藩」と「南部藩」に蝦夷地の守りの出兵を依頼していました。

文化4年末に、幕府は「仙台藩」「会津藩」にも出兵を依頼し、それを監督するため、松前奉行所の体制を強化するため、役職者を急増ししています。

以下の表から、文化6年以降、新しい役職を作ったりして人数を大幅に増やしていることがよくわかります。


2026年5月6日水曜日

2026年5月以降の学習内容の担当班


20265月以降の学習内容の担当班

『蝦夷異事三』P47から

テキスト頁

担当班

 

P4748

7

P4950

1

P5152

2

P5354

3

P5557

4

P5859

5

P6062

6

P6364

7

P65P67

1

P6869

2

P7072

3

P7374

4

P7576

5

P7778

6

P7980

7

P8183

1

P8485

2

P8788

3

P8990

4

P9192

5

P9394

6

巻三最後

 

『蝦夷異事三』P56~P66の翻刻と読みの試案

 『蝦夷異事三』P57~P66の翻刻と読みの試案

間違いがありましたがご指摘いただければ幸いです。

庄崎様よりのご指摘、訂正しました(5月11日)薄緑背景

*茶背景は原文

*黄色の背景は自信のないところ

*赤背景は分からないところ

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2026年5月5日火曜日

『蝦夷異事三』P48~P55の翻刻・読みの試案

 『蝦夷異事三』P48からP55までの翻刻・読みの試案です。(5月7日追加訂正)

*5月5日、追加部修正しました。(庄崎様、増田様、ありがとうございます)黄色背景

間違いがありましたらご指摘いただければ幸いです。

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2026年4月30日木曜日

『蝦夷異事三』P48・P49の翻刻・現代語訳練習

 2026年4月30日 

 翻刻・読みの練習です。誤りがあればコメントでご指摘いただければ幸いです。

P48・P49

P48 7班担当

同廿八日

(どうにじゅうはちにち)

                        御先手

                        (おさきて)

                         朝比奈弥太郎組同心

                            (あさひなやたろうぐみどうしん)

                                        中村伊太夫

                            (なかむらいだゆう)

調役下役

(ちょうさやくしたやくえ)

                            荒尾但馬守明キ組同心

                            (あらおたじまのかみあきぐみどうしん)

                                        大嶋勝兵衛

                      (おおしまかつべえ)

勤之内置之通御足扶持外御役扶持三人扶持ツヽ

つとめのうち、これをおくとおり、おたしぶち、ほかおやくぶち、さんにぶちづつ)

 *足扶持(たしぶち)「小禄の武士が高い役高の役職についたとき、在職中に限りその差額を支給すること」

*役扶持(やくぶち)「幕府で、ある役職についた者に支給された扶持米。一日に玄米五合、前月中によく月分が支給された。役替、罷免があると超過分は返納された。」(『近世古文書用語辞典』より)

P49 1班担当

   辰 正月五日仙台家より御届

      (たつしょうがつ、せんだいけよりおとどけ)

一 蝦夷地続江土呂府島異国船渡来之節防キ固勤番

(ひとつ えぞちつづきえとろふじ、まいこくせんとらいのせつ、ぶせぎかため、きんばん)

 役仕候家来正月十五日出立

(やくつかまつりそうろうけらい、しょうがつじゅうごにち、しゅったつ)

       イ第

      (イだい)

        右一手一備

   (みぎひとてひとそなえ)

大番頭       日野英馬

(おおばんがしら)          (ひのえいま)

*日野英馬の読み「国立国会図書館リサーチ「文化中エトロフ御備頭日野英馬等より手簡」の読みを参考にした」

        但侍百騎高弐百石ゟ弐千石迄弐百石高より

(ただし、さむらいひゃっきたかにひゃくこくより、にせんごくまで、にひゃくこくだかより

        供人数上下弐拾人宛

   (そなえにんずう、じょうげにじゅうにんずつ)

但頭役    壱人

(ただし かしらやく ひとり)

組ヵ

(くみカ)

    大目付  弐人

               (おおめつけ)  (ふたり)



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2026年4月29日水曜日

松前藩家臣団一覧のサイト

 サイトのトップページをそのままコピーさせていただいています。

松前藩家臣団一覧のサイト

 この家臣団一覧表は以下の資料をもとに松前藩士を苗字別にまとめ、あいうえお順に並べ替え、作成したものです。ただし一部武士ではなく町人ではないかと思われるものもふくまれていますので、もしお気付きの点がありましたらお知らせ下さい。

【参考資料】
(1)寛政十年家中及扶持人列席調(寛政10年<1798>)
 ~家臣団の列席状況を記したものとしては最古のもので、これによると家中は諸士229名、足軽96名、それに地侍役付者24名を加え家臣の総数は349名である。
 なお御内証御礼とは家格によって藩主に直接面談を許される同族・一門で、御内礼列とは家老以下役職によって直接藩主に謁見することを許されているものである。
(2)於松前家中申渡ス(文化4年<1807>)
 ~幕府の移封命令により奥州梁川に移ることになった松前家は、文化5年(1808)家臣約350名のうち士分66名、医師4名、部屋住16名、足軽分70名、計156名に永の暇を与えましたが、これはその際の記録です。
(3)文化四年松前藩家臣名簿(「近藤家文書」)
 ~これは近藤家文書『文化四年丁卯八年、惣扶持并家数調扣帳、御用之間江御目付中差出候扣』をもとに、席・職別に家臣名を記したものです。
(4)御扶持家列席帳・御役人諸向勤姓名帳(嘉永2年<1849>)
 ~これは松前藩家中の扶持状況を記した数少ない史料の一つで、「御扶持家列席帳」には631名の士席登載者があり、新規採用者の名も多い。「御役人諸向勤姓名帳」は士分の者の役付表です。

※ (1)、(2)、(4)は『松前町史 資料編 第一巻』に、(3)は『松前町史 通説編 第一巻下』に所載のものです。